マクデブルクのドミナ:セッションはミュンヘンで、コントロールはビデオ通話でも
マクデブルクのドミナ。私はそうではないし、そう装うつもりもない。対面セッションを行うのは、ミュンヘンのStudio 60。私がマクデブルクへ行くことはない。あなたの住まいにも、ほかのどこにも。エルベ川からイーザル川へ向かう者は、まる一日を計画することになる。私のもとでは、その計画もすでに邂逅の一部だ。
予約は、こうして成り立つ:
- カレンダー:予約カレンダーで、セッションの種類、日、時刻を選ぶ。
- メッセージ:ワンクリックでWhatsAppかTelegramが開く。料金と受付番号まで入ったリクエストの文面は、すでにできあがっている。
- 確定:返事は私自身が書く。予約が確定するのは、私が承諾し、€50のデポジットが支払われてから。デポジットは料金から差し引く。
- 部屋:Studio 60の部屋は、あなた自身がスタジオに直接予約して支払い、その予約確認をスクリーンショットで私に送る。
午後の1時間がいくらで、夜の1時間がいくらになるかは、料金と予約にまとめた。二つの旅のあいだの時間には、ビデオ通話のリモートセッションがある。45分、世界中どこからでも。とりわけ貞操管理は、こうして距離を越えて導ける。鍵が旅をする必要はないからだ。私が話し、書くのはドイツ語と英語。
夜のマクデブルク:ハッセル、丸天井の地下、エルベ川の岸
2005年、マクデブルクは文書に初めて名が記されてから1200周年を祝った。この街が一度ならず、はじめからやり直さねばならなかったことは、歩けば伝わってくる。1631年、三十年戦争のさなかに。1945年、空襲のあとに。夜の顔は控えめで、知っておく価値のあるいくつかの場所に散らばっている。
- ハッセルバッハ広場:ブライター・ヴェーク通りの南端にある「ハッセル」は、Gründerzeit(19世紀後半の好況期)のファサードに囲まれ、長いあいだ、この街の酒場が集まる界隈だった。姿は変わり、その将来をめぐる議論はもう何年も続いている。それでも今なお、多くの夜はここから始まる。
- Buttergasse:アルター・マルクト(旧市場広場)のそば、歴史ある丸天井の地下室に入ったクラブ。パーティーは主に週末に開かれる。
- Festung Mark:かつてのDefensionskaserne(防御兵舎)。1864〜65年、旧要塞の北側正面に築かれた堅固な兵舎で、2001年に売却を免れ、それ以来、文化の場になっている。その部屋では、コンサート、演劇、朗読会、パーティーが開かれる。
- Factory:ブッカウ地区のクラブで、大ホールには最大1,000人が入る。コンサートとパーティーが交互に開かれる。
- エルベ川の岸:ペトリフェルダーでは、暖かい季節にビーチバーが開く。もう20年以上続いている店だ。遊歩道を歩けば、川の上に大聖堂が見え、橋が見える。橋は、昼間よりも暗がりのなかでのほうが、重みを帯びて見える。
定期的に開かれ、公に告知されているフェティシズムのパーティーは、最近のマクデブルクではほとんど見つからなかった。あるとしても、小さな私的な集まりであることが多い。この街にもドミナのスタジオはある。その名は挙げないし、そのどれとも組んではいない。大きなフェティシズムの週末を求める人の多くは、9月にベルリンへ向かう。行き先は、シェーネベルク地区のFolsom Europeだ。
金色の球の下の半球
4月のある土曜日、私はマクデブルクにいた。予約もゲストもなく、ただ大聖堂と、何年も前から見たいと思っていたひとつの建物のために。緑の城塞(Grüne Zitadelle)は、大聖堂広場から数歩のブライター・ヴェーク通りに立っている。何ひとつ詫びることのないもののような、ピンク色。設計したのはフリーデンスライヒ・フンデルトワッサーだが、彼は完成を見なかった。2000年2月に世を去り、建物の落成は2005年10月のことだ。屋上には草が生え、屋根からも壁からも木が伸び、窓の列はひとつとして一直線に並ばない。同じ窓はひとつもない、と案内してくれた女性は言った。住人はみな、自分の窓のまわりのファサードを、筆を持った腕が届く範囲まで、自分で塗ってよいのだという。そうする人は、ほとんどいない。使われない権利もまた、その建物について何かを語っている。
そのあと私は、二つある中庭のうち大きいほう、噴水の流れているところに座った。手には1階のカフェで買った紅茶。隣のテーブルでは、一人の男が黒いゴムのリングを親指と人差し指のあいだで回していた。いつも同じ速さで、ほかの人が数珠を繰るように。40歳前後、グレーのジャケット。ノートは、測定の記録らしい曲線で埋まっていた。何を回しているのか、と私は尋ねた。
「パッキンです」と彼は言った。ドイツ語ではDichtung。詩を意味するのと同じ言葉だ。
「この街で?」と私は尋ねた。「ここはポンプを動かす街で、詩を作る街ではないと思っていた」
彼はとても正確に説明した。試験所で働いていること。扱うのは、バルブや圧力容器のパッキンだということ。仕事は、休む間を与えられないものがどれだけ長く密閉を保つかを突き止めることだということ。彼はゴムについて、ほかの人が人間について話すように話した。どんなものも、最後には屈する。問題は、それがいつ、どの箇所で起きるか、というだけだ。名前を教えてくれたのは、もっとあとになってから。ここでは彼をR.と呼ぶ。
「では、ゲーリケは?」と私は尋ねた。
そこで初めて、彼はまともに顔を上げた。オットー・フォン・ゲーリケ。三十年戦争で破壊されたこの街の、その後の市長だ。1650年代半ば、彼は銅製の二つの半球を合わせ、中の空気をポンプで抜き、二組の馬に反対の方向へ引かせた。馬たちは半球を引き離せなかった。「驚くべきなのは、引く力のほうではありません」とR.は言った。「球をつなぎとめているものが、何もないということです。錠もない、接着剤もない。あるのは、欠けているものだけ」
私は自分の仕事を、そしてそれをどこでしているかを話した。彼はそのまま座っていた。誰もがそうするわけではない。「それなら、うちの半球を持っているのはそちらですね」と彼は言った。ゲーリケの実物とされる半球は、いまミュンヘンのドイツ博物館に収められている。彼が尋ねたのは料金でも写真でもなく、鍵のことだった。誰が持つのか、どれくらいのあいだか、そして一本なくなったら何が起きるのか。正しい問いだった。ただ、時が違った。私は名前を告げ、どうすれば私に書き送れるのかを教えた。ここではなく、今日でもなく。それからカップを返しに行き、彼を中庭に残した。リングを手にしたまま、家の壁から生え、誰にも許しを求めない木々の下に。
安全弁のある契約
最初のメッセージは4日後に届いた。あまりに事務的な文面だったので、その下にある落ち着かなさを探して、私は二度読んだ。施錠されたい。鍵を自分の手から離したい。そして、いちばん最後にはこうあった。終わりの日付は要らない。
最後の願いを、私は真っ先に消した。
彼の試験所には、安全弁のない圧力容器はひとつもない。私はそのことを思い出させるように書き返し、私のもとでも同じルールが当てはまると伝えた。その弁を、ここではセーフワードと呼ぶ。二人で決めたのは「copper」(銅)。半球の金属にちなんだ言葉だ。ひと言で、すべてがすぐに終わる。議論もなく、あとで私がそれを咎めることもない。二つ目の弁もあった。こちらは金属でできている。非常用の鍵。電気メーターについているような、番号入りの封印で閉じた袋に入れておく。体が求めるなら、彼はいつでもその封印を破ってよく、そのときは番号を私に送るだけでいい。必要に迫られて破るのは、失敗ではない。待ちきれずに破るのは、二人で話し合うべきひとつの決断だ。
そのあとに、誰も答えたがらない質問が続いた。心臓と循環器、服用中の薬、アレルギー、肌の弱さ、貞操具を使った経験。どれも、彼にはなかった。2年前から一人で暮らしていて、何かを隠さなければならない相手はいなかった。それで話は単純になった。楽になったわけではない。彼は私が求めた寸法を、小数点以下3桁まで送ってきた。私はこう返した。私のもとでは、体に合うかどうかに交渉の余地はない。締めつけるものは外す。しびれ、痛み、肌のかぶれ。どれもすぐに知らせること。たとえ、その場の空気が壊れても。
週ごとの過ごし方も決めた。彼を施錠する鍵は、ミュンヘンの私の手もとに残る。もう一本は、封印したまま彼のもとに置く。決まった時刻に彼は封印を破り、清潔にし、再び施錠し、非常用の鍵を新しい番号で封印して、二つの数字を私に送る。古い番号と、新しい番号。週に一度、私はビデオ通話で彼の顔を見る。ひとつの期間をどれだけ続けるかを決めるのは、私だ。彼の野心ではない。
「それ以上を望んだら?」と彼は書いてきた。
「そのときは、待つことになる」と私は書いた。「それが、あなたのまだ知らない部分だ」
彼がリクエストしたのは、5月末の金曜日の午後、2時間。Studio 60の部屋はすでに予約してあり、スクリーンショットも添えてあった。これほど整ったリクエストは、めったになかった。自分が何に身を投じようとしているのかを、これほど知らずにいた人も。
Studio 60:カチリという音と、時計のない1時間
彼は列車で来た。4時間半、ハレで1回乗り換えて。そして約束の時刻ちょうどに、扉の前に立った。圧力の低下をパスカル単位で測る男に、私が期待していたとおりに。しらふで、電話の電源は切ってあった。はじめは、二人でただ座っていた。私は彼にセーフワードを声に出して言わせた。2回。それが懇願ではなく、彼自身の手にある道具のように響くまで。
それから貞操具。私は装着具合を確かめた。何であれ確かめるときと同じように、急がず、余計なことは言わずに。そして尋ねた。圧迫は?熱は?こすれるところは?彼は合っていると言った。私は彼を立たせ、数歩歩かせ、座らせて、もう一度尋ねた。施錠したのは、そのあとだ。音は思うより小さい。ボールペンほどの音しかしない、カチリという音。彼はもっと大きな音を想像していた。顔を見ればわかった。
私は鍵を細い鎖に通し、自分の首にかけるのではなく、床に置いた。彼がひざまずくマットの前、腕一本ぶん先に。膝がつらくなれば、かかとの上に腰を落としてよいことにした。両手首には革の手枷。短いベルトで、ひとつのリングにつないである。血が通うには十分で、鎖に届くには足りない遊び。私は彼の後ろの、彼からは見えない肘掛け椅子に座り、本を読んだ。
監禁は、行為ではなく持続によって力を得る。最初の30分、彼は話した。道中のこと、スタジオのこと、自分のこと。私は答えなかった。次の30分で、彼は黙った。そして沈黙が働きはじめた。今が何時なのか、彼にはわからなかった。私がページをめくる音が、彼には聞こえた。ときおり私は立ち上がり、彼の肩甲骨のあいだに手を置いて尋ねた。「今、どこにいる?」「ここです」と彼は言った。一度だけ、長い沈黙のあとで「鍵のそばに」と答えた。私は彼の手を確かめた。指の色、手枷の締まり具合。そしてまた腰を下ろした。1時間がたったところでベルトを外し、水を与え、脚を伸ばさせ、肩を回させてから、もう一度つないだ。鍵は元の場所に置いたまま。
それから、どの監禁もそこへ向かって進んでいく瞬間が来た。彼は引いた。強くではない。ベルトの許すところまで、手のひらひとつ分だけ届かない鎖へ向かって、指を伸ばして。私は引かせておき、何も言わなかった。「copper」と言えば、すべては終わっていた。彼はそれを知っていたし、彼が知っていることを私も知っていた。彼は言わなかった。しばらくして腕を下ろし、額をマットにつけて、息を吐いた。圧力容器の弁を誰かが開けたかのように、長く。
「これがゲーリケの実験」と私は言った。「両側から引いても、どうにもならない。錠がそれほど強いからではない。自分を留めているものが何かを理解したとたん、引くのをやめるからだ」
私は鎖を拾い上げ、首にかけた。帰る前に、彼はもう15分、水と毛布とともに肘掛け椅子に座り、私は最後にもう一度、装着具合を尋ねた。その夜、彼は施錠されたままマクデブルクへ帰っていった。上着の内ポケットには封印した非常用の鍵。封印の番号は、私の電話のなかに。
空虚がつなぎとめるもの
そのあとの数週間こそが、本当のセッションだった。最初の期間は4日、次は10日。そのあと、私はもう数字を口にしなかった。1日おきの夜に、二つの数字の並んだメッセージが届いた。破った封印の番号と、新しい封印の番号。週に一度、彼はカメラの前に座って報告し、封印をレンズにかざし、課題を受け取った。電話を持たずに、エルベ川沿いをルーカスクラウゼまで歩くこと。岸辺に立つ古い防御塔で、いまは博物館としてゲーリケの記憶をとどめている場所だ。1時間、じっと座っていること。してはならないことと、できたのになぜそれをしなかったのかを、1ページに書くこと。
スコラ学者たちには、アリストテレスにさかのぼるとされる教義があった。natura abhorret vacuum、自然は真空を嫌う。ゲーリケはそれに自分のポンプを突きつけた。観衆の前で、銅と、引く力とで。空虚は、あらゆるものが逃げ出す無ではない。二つの半分を、どんな引く力も及ばないほど強く押しつけ合わせるもの。それが空虚だ。球が互いにしがみついているのではない。押さえているのは外の空気だ。均等に、あらゆる方向から、少しの力みもなく。
貞操管理がうまくいくとき、それはこうして働く。貞操具は、笑ってしまうほど小さなものだ。R.を留めていたのは、不在だった。鍵の不在、決定の不在、屈するという可能性の不在。ミュンヘンにある鍵が本物で、彼のポケットの鍵は封印された複製。彼を縛っていたのは金属ではなく、番号だった。そしてこの不在は、内側ではなく外側に向かって働いた。いちばん長い期間の3週目、彼は書いてきた。休暇に行っていたのかと、同僚の女性に聞かれた、と。人の話に耳を傾けるようになった、と。話しかけてくる相手の顔を見るようになった、とも。そして、夕方の大聖堂は大聖堂広場から見るのとエルベ川の側から見るのとで姿が違うことに、初めて気づいたという。
同じころフランスで、水銀柱を使って真空を追っていたパスカルは、『パンセ』にひとつの文を残している。何人かのゲストのために、私はそれを書き写す。「人間の不幸は、みなただ一つのこと、部屋のなかに静かにとどまっていられないことから起こる」。はじめのうち、R.にはそれができなかった。彼は計算した。日数を、時間を、封印の番号を数えた。セッションのたびに、あとどれくらいかと尋ねた。
その問いに、私は一度も数字で答えなかった。力とは、両側から引くことではない。あの数週間で、彼はそれを理解した。力とは、緩むことも急かすこともない、均等な圧力だ。献身とは、それに逆らうのをやめること。では、自由は?自由とは、ずっと彼のポケットにあった弁だった。破ってよい封印と、口にしてよい言葉。彼が必要に迫られてそのどちらかを使ったことは、一度もない。使おうと思えば使えたからこそ、封印を破らずに過ぎた一日一日は、彼自身の決断だった。それが、服従と囚われとを分かつものだ。
ブライター・ヴェーク通りで、ひとつの期間が終わる
7月の終わり、いちばん長い期間のさなかに、私はStudio 60で2度目に彼と会った。彼は1度目より落ち着いていた。だがその声には、私の気に入らない新しい何かがあった。彼は期間を延ばしたがっていた。週と目標を並べ、筋道の通った計画を持ってきていた。まるで一連の試験でも組むように。期間の長さを測るのは自分ではないことを、彼は忘れていた。
2回前のビデオ通話のときから、私にはそれが近づいてくるのが見えていた。あの数週間で身についた注意深さは、もう外へ、同僚へ、エルベ川へ、大聖堂へとは向かわず、再び内側へ、数えることへと戻っていた。不在は塗り替えられる記録になり、その時点で、もう不在ではなくなっていた。彼の言葉で言えば、パッキンはまだ持ちこたえていた。だが、もう働いてはいなかった。
私は鎖を外し、錠を開けた。彼は「No」(いや)と言った。セーフワードではない。異議というより懇願に近い、ただの「いや」。私は最後まで言わせた。それから告げた。この期間が終わるのは、その時が過ぎたからだ。それを決めるのは私で、彼にそれが見えないときこそ、私が決める。別れでも罰でもなかった。誰も予約しない、私の仕事の一部。それがなければ、ほかのすべてに価値はない。そのあと二人で、長いあいだ座っていた。数字の話はせずに、彼が自分に戻るまで。それから私は、彼を帰した。
ゲーリケが弁を開き、空気が球のなかへ流れ戻ると、二つの半分はまったく力を要さずに離れた。実験のこの部分を語る人は、ほとんどいない。引き離すのに馬は要らない。二つをつなぎとめていた真空を、つくり出すのをやめればいいだけだ。
2週間後、マクデブルクから手書きの手紙が届いた。中には最後の封印が入っていた。破られ、番号がボールペンで丸く囲んであった。もう一度城塞の中庭に、噴水のそばに座って、ファサードを眺めたのだと彼は書いていた。あの建物は、変わっていくように設計されている。木々は育ち、外壁の色はあせていく。建物が年を重ねていくことを、まさにそれで感じさせようというのだ。屈していくものがすべて欠陥なのではないと、初めてわかった。R.はそう書いていた。
私はその手紙を取っておいた。鍵も。鍵はミュンヘンでフックに掛かっていて、ときどき目にとまると、ブライター・ヴェーク通りの上、あの屋上の木々を思い出す。誰も木々を縛りつけてはいない。木々が持ちこたえているのは、根を下ろしたからだ。何かが欠けているからではない。
彼の試験所では、Dichtungは、何かを密閉しておくものを指す言葉だ。ゲーテでは、同じ言葉が真実と並んでいる。Dichtung und Wahrheit、『詩と真実』。この物語は、二つ目の意味でのDichtungだ。まったくのフィクションだが、舞台となる場所は実在する。
ゲストブックからの二つの声
以下は、二人のゲストが私のゲストブックに書いたもので、この物語とは関わりなく生まれた。どちらの書き込みも本物で、物語の登場人物によるものではない。二人の思いは、物語のなかにこだまとして響くだけだ。
「いつか妻が何かを感じ取ったら、それが危機を引き起こすのではないか。私はそう危ぶんでいた。妻は何も感じ取らなかった。私が前よりも、ちゃんとその場にいるようになったこと以外は。私がMistress Alexaを必要とするのは、妻に向ける注意を減らすためではない。もっと多くを向けられるようになるためだ」——Frank W.、ゲストブックの書き込み(ドイツ語から翻訳)
「その期間を二人で終えたのは、終わるべきときが来ていたからだ。彼女はそれに気づいていた。私は気づいていなかった。それでも、彼女は決めた。拒絶ではなかった。責任だった。どの1時間にも増して、そのことを彼女に感謝している」——「Mistressへ」、ゲストブックの書き込み(ドイツ語から翻訳)
さらに多くの声が、ゲストブックで待っている。
私のもとでの貞操管理:物語が描かないこと
物語は、何も劇的なことが起きない時間を省いている。だが現実の貞操管理を支えるのは、まさにその時間だ。私のもとでは、事前の話し合いから始まる。経験、期待、リミット、そして本当に体に合う貞操具があるかどうか。健康上の事情、つまり心臓や循環器の問題、服用中の薬、アレルギー、肌の弱さは、あらかじめSafe Room(会員エリア)のプロフィールに記入しておくこと。セーフワードは、セッションのたびに前もって決める。その一語で、どんな行為もすぐに止まる。
- スタジオで:監禁と貞操管理は、最低120分で予約する。ベルトやロープによる拘束は1時間料金に込み。
- 離れた場所から:ビデオ通話でのキーホルディング、45分、€180から。証拠の示し方、清潔の保ち方、非常用の鍵の扱いは、事前の話し合いで決める。
- 体が優先:痛み、しびれ、肌のかぶれがあれば、どの期間もすぐに終わる。それは失敗ではなく、配慮だ。
- 行わないこと:性交なし、オーラルセックスなし。
ひとつの期間をどれだけ続け、いつ終えるかは、私が決める。貞操具、期間の長さ、キーホルディングについては貞操管理とキーホルディングのページに、リミットと中断についてはタブー・リミット・安全に詳しく書いた。
マクデブルクからStudio 60へ:移動と計画
マクデブルクとミュンヘンのあいだに、直通の列車はない。鉄道なら、少なくとも1回、たいていはハレかライプツィヒで乗り換えて、約4〜5時間。工事で所要時間が延びることもあるので、出発の直前にもう一度接続を確かめること。ミュンヘン中央駅からは、公共交通機関で少し乗るだけだ。スタジオの正確な住所は、私が予約を確定し、デポジットが支払われたあとに伝える。
この道のりを来るなら、こう計画すること:
- 余裕を組み込む:ハレで乗り継ぎを逃しても、セッションを失わずにすむ時刻を選ぶこと。遅れて着いても、予約した時間は延びない。
- まず部屋:切符を買う前に、リクエストする時間に合わせて、Studio 60の部屋を押さえること。
- しらふで着く:車内でビールは飲まない。緊張をほぐすためであっても。飲んできた者に、扉は開かない。
- 急がない:スタジオでの貞操管理は、最低2時間。同じ日に往復すれば、長い一日になる。ミュンヘンで一泊すれば、その圧が抜ける。
守秘は互いに。マクデブルクの勤め先を私が尋ねることはないし、あなたが打ち明けたことは私のもとにとどまる。同じことを、私はあなたにも求める。旅をせずに始めたいなら、まずはビデオ通話で。スタジオへは、そのあとで来ればいい。ザクセン・アンハルト州に隣接する州を舞台にした物語は、ポツダムのドミナとハノーファーのドミナにある。