キールのドミナ:セッションはキール湾ではなくミュンヘンで
キールでドミナを探す人は、たいてい、まず身近なところから探す。だから最初に言っておく。キールで誰かを迎えることはないし、私が北へ出向くこともない。ホテルにも、住まいにも行かない。セッションの場所は、ミュンヘンのStudio 60。BDSMスタジオで、部屋はあなたが自分で予約し、スタジオに直接支払う。ルーム料金は私の料金に含まれない。
キールから予約を入れるまでの流れは、こうだ。
- 日時を選ぶのカレンダーで、1時間だけのセッション、3時間のインテンシブ、45分のリモートセッションのいずれかを選び、続いて日と時刻を選ぶ。
- するとWhatsAppかTelegramが開く。料金と受付番号を記したメッセージは、すでに書き上がっている。
- 確定するのは私自身だ。€50のデポジットで予約が確保される。デポジットは料金から差し引く。住所を伝えるのは、そのあとだ。
料金は1時間€250。20時以降に始まる1時間は€300。これにStudio 60のルーム料金が加わる。細かなことはすべて料金と予約に、部屋の予約の仕方はStudio 60のページにまとめてある。長い旅はまだ先にしたいなら、ビデオ通話のリモートセッションから始めればいい。世界中どこからでも、45分、€180から。私が話し、書くのは、ドイツ語と英語だ。
この先の物語は、ラバーをめぐるものだ。この素材で私が実際に提供していることは、ラテックス、ラバー、ヘビーラバーに書いている。
夜のキール:ベルク通り、Die Pumpe、キール・ウィーク
キールは、夜になると水の音がする街だ。フェリーのエンジン、索具を鳴らす風。夜に出かけるといえば、たいていは市中心部になる。旧市街の中心にあたるアルター・マルクトのまわりには、醸造所を併設したパブが一軒、それにバーや酒場が寄り集まっている。ベルク通りにも、アイリッシュパブといくつかのバーが肩を寄せ合うように並ぶ。そこから数分のところにあるのがDie Pumpe。1929年に建てられたかつての下水ポンプ場で、1979年からは文化とコミュニケーションの拠点になっている。ステージがあり、パーティーが開かれ、市立映画館のKommunales Kinoも入っている。クラシックを好むなら、湾に近い城のコンサートホール(Konzerthaus am Schloss)で演奏会が聴ける。
年に一度、街全体が舞台になる。キール・ウィーク(Kieler Woche)は2026年、6月20日〜28日に132回目の開催を迎えた。シルクゼー沖のヨットレースに、市内での2,000を超える催しが重なり、そのうち約500は夜のコンサートだった。最終土曜日には、大型の伝統帆船が連なるウィンドジャマー・パレードが湾を渡っていった。7月と8月には、いくつもの週末にわたってKieler Bootshafensommerが続く。街のど真ん中、Bootshafen(ボートハーバー)に浮かぶステージで、入場無料のライブ音楽が響く。
フェティシズムとBDSMにとって、キールは小さな街だ。北ドイツにもスタジオはある。けれど私はどこの名前も挙げないし、誰にもリンクを張らない。選択肢を広げたいなら、あるいは単に自分の生活圏から距離を置きたいなら、快速列車に乗れば、ハンブルクまでは1時間と少しだ。そこからゲストがどう私のもとへ来るかはハンブルクのドミナに、メクレンブルクから来るなら、その道筋はシュヴェリーンのドミナに書いた。私の部屋は湾のほとりではなく、ミュンヘンにある。このページは、そこまでの長い旅を考えているすべての人のためのものだ。
第4門扉室:閘門の上で過ごした午後
10月、私はキールで2日間を過ごした。私的な旅で、荷物に仕事は入れていなかった。冬が灰色に染めてしまう前に、海を見ておきたかった。2日目の午後、バスでヴィーク地区まで出て、券売機で€1の入場券を買い、閘門を見下ろす展望台への急な階段をのぼった。展望台は第二次世界大戦の掩蔽壕の上、門扉室の真上にある。手すりの前に立つと、有効長310メートル、幅42メートルの閘室が眼下に広がる。そこに、コンテナを積み上げた赤錆色の貨物船が一隻、微動だにせず横たわっていた。
隣に、湾から吹きつける風には薄すぎる上着の男が立っていた。彼が見ていたのは船ではなく、門扉だった。「横に滑って開くんです」と、尋ねてもいないのに彼は言った。「引き戸式の門扉で、ひとつの閘室に3枚。真ん中の1枚は予備です。ここは1914年から、ずっとこの仕組みで動いています」。数字を口にしていれば、ほかの話をせずに済む。そういう人の話し方だった。
貨物船は何を待っているのか、と私は尋ねた。水位がそろうのを待っている、と彼は答えた。運河は水位を一定に保つ。バルト海はそうはいかない。風が、ある日は湾の奥へと水を押し上げ、次の日には押し下げる。差がどれほどになるかは天気しだいだ。それでも、両側の水面が同じ高さになるまで、誰も門扉を開けない。「そうしないと、流れに船を手からもぎ取られますから」
彼は東岸の造船所で働く技術者で、本人の言う「水密」を受け持っていた。隔壁、配管やケーブルの貫通部、溶接の継ぎ目。船殻に水が入るのを防ぐもののすべてだ。ここでは彼をE.と呼ぶ。この物語には、それで足りる。それから彼は、技術者の語彙にはそぐわないことを口にした。どんな船殻でも検査できる。ただ、自分の殻だけはできない。自分には何でも入り込んでくる。仕切りのないオフィスに響く声、他人の機嫌、真夜中のメッセージ、見知らぬ人の視線のひとつひとつ。誰かが隔壁を開けたままにした船のように、自分は何でも通してしまうのだ、と。
対岸のホルテナウ側には灯台が立っていた。高さ約20メートル。運河が開通し、カイザー・ヴィルヘルム運河と名づけられた1895年の夏から、ずっと灯をともしている。正面入口の上には、互いの手を求めて腕を伸ばす二人の人魚のレリーフがある。北海とバルト海。100キロ足らずの運河で結ばれた、二つの海だ。その話をすると、E.は初めて笑った。続けて私は、フランスの精神分析家ディディエ・アンジューの話をした。アンジューは著書『皮膚―自我』で、皮膚を自我の外皮として描いた。皮膚は人という存在をひとつにまとめ、外から何が入ってよいかを決めることにも関わっている。その境界を感じられなければ、世界はそのまま体を素通りしていく。E.は、まるで自分の船殻の図面を見せられたかのような目で、私を見た。
二人で長いあいだ手すりの前に立っていた。彼は何かにつかまっていなければならないかのように、両手で手すりを握っていた。眼下で門扉が門扉室へ滑り込み、貨物船が動きだして、湾へと押し出ていった。そこで初めて、私は自分の仕事を話した。ミュンヘンで、スタジオで、前もって取り決めたルールのもとで。サイトの名前は伝えたが、助言はしなかった。「自分の境界がどこを通っているのか知りたくなったら、メッセージをください。知りたくないなら、水辺で過ごした、いい午後だったというだけのことです」
一行だけ開いたままの検査記録
彼から連絡が来たのは11日後だった。長く、事務的なメッセージで、検査記録のように組み立てられていた。年齢、身長、服用中の薬なし、心臓の持病なし、わかっている限りラテックスアレルギーなし、走ったあとにときどき痛む膝。その下に、空行をひとつはさんで、数字のない段落があった。何年も前からラテックスのスーツを持っているが、誰にも見せたことはない。ときどき夜にそれを着て、熱が耐えられなくなるまで、部屋でじっと座っている。そこで何を探しているのかはわからない。わかっているのはただ、そこでなら、もう少しでそれが見つかりそうになるということだけだ、と。
私は約束ではなく、問いで返した。自分では開けられないきつい服を着ると、どう感じるか。エレベーターやトンネルの中、重い毛布の下で、すぐに外へ出たいという衝動に駆られたことはあるか。フードをかぶったことはあるか。あるなら、どのくらいの時間か。彼はどの問いにも答えた。答えにくいものにも。フードの話になると、彼はためらった。一度ひとりで試し、1分で引きはがしたという。心臓が早鐘を打っていた。二度とひとりでフードをかぶらないでほしい、と私は書き、この一行がやりとり全体でいちばん大切な一行だと添えた。
それから、決めておくべきことを決めた。セーフワードは彼自身が選んだ。「Holtenau」(ホルテナウ)。フードは声をくぐもらせる。だから、言葉のいらない合図も用意した。右手に持つ、重い鍵束。それが床に落ちたら、その場ですべてが終わる。問いただすことも、落胆することもなく。私が彼のために選んだフードは、目と鼻と口を覆わないものだった。ひとりのときに引きはがしたものより、開いたつくりだ。私のもとでは、鼻と口は常にふさがない。ラバーの下には熱がこもる。だから水を飲む休憩をはさむことにし、血行に気を配るのは彼ではなく私の役目とした。十分に眠り、しらふで来ること。前の晩もアルコールは抜きで。
ヘビーラバーには時間がかかる。だから3時間のインテンシブに決めた。Studio 60の部屋は彼が自分で予約し、予約確認のスクリーンショットを送ってきた。自分のスーツは持参してよいことにした。洗って、乾かし、油分を落とし、別の袋に入れて。予約の2日前、もう一通、短いメッセージが届いた。何も起こらないのではないかと怖い、と。私はこう返した。それなら、何も起こらないだけ。そのあとには、自分が何を探しているのかが、前よりもはっきりわかる、と。
閘室へ:ラバー、ベルト、フード
彼は時間どおりにミュンヘンに着いた。スポーツバッグを提げ、落ち着いていようと心に決めた顔で。まずStudio 60のテーブルで、15分ほど向かい合って座った。セーフワードを声に出して言わせ、それから鍵束を渡し、試しに落とさせた。床に当たる金属音は、すべてを終わらせることのできるものにしては、ずいぶん小さな音だった。
ラテックスの場合、着ることは準備ではない。それ自体がセッションの最初の部分だ。彼は時計と指輪を外し、手を洗って、爪を見せた。シリコーン系の着用補助剤を渡すと、彼は造船所の決まった作業のように、手早く済ませようとした。私はその手からスーツを取り上げた。「今日、あなたは何も密閉しない」と私は言った。「今日は、あなたが密閉される」。脚を一本ずつ、腕を一本ずつ、私は素材を彼にかぶせ、手のひらで空気を押し出して、どこもぴたりと沿うまで撫でつけた。ラテックスを知る者なら、あの音を知っている。ラバーがラバーの上を滑るあいだの、かすかなきしみ。そして素材が落ち着いた瞬間の、静けさ。
スーツの上には、前もって二人で選んでおいた二枚目の層を重ねた。厚く、重い層だ。一層ごとに、彼の動きは遅くなった。私は彼をクッションのきいた寝台に横たえ、上腕、腰、膝、足首に幅の広いベルトを回して拘束した。食い込むほどきつくはなく、それでいて身をかわす余地を残さない程度にはしっかりと。胸と喉元には、ベルトを一本もかけなかった。両手には、鍵束を握り、それを落とせるだけの自由を残した。彼は話しはじめた。熱でラバーがどう伸びるか、材料疲労、検査規格。3つ目の文までは黙って聞いた。それから言った。「説明はもういい」。彼は黙った。そうしたかったからではない。この部屋にはもう、彼の説明を必要とする者がいなかったからだ。
最後にフードを手に取った。内側を見せ、開口部を確かめさせ、素材のにおいをかがせた。何ひとつ、なじみのないものが残らないように。「Colour?」(信号の色は?)と私は尋ねた。「Green」(緑)と彼は答えた。少し早すぎた。もう一度、もっとゆっくり言うまで、私は待った。それから額からうなじへとフードをかぶせ、後頭部のファスナーを閉めた。鍵を握った彼の右の拳に、私は手を置いた。鍵がどこにあるのかを私が知っている、と彼にわかるように。
水位をそろえる:手放す前の4分
フードの下の最初の数分は、いちばん正直な時間だ。世界は、目のための二つの開口部と、内側から聞こえるものだけに縮む。自分の呼吸、自分の脈、そして最後まで動かしきれない身じろぎのたびに鳴る、素材の音。私は彼の隣に腰を下ろし、その手を見ていた。
4分ほどたったころ、彼の呼吸が速くなった。鍵束を握る指がゆるみ、金属が1センチ、そして2センチ滑った。この瞬間、私は何も決めない。決めるのは彼であり、決めてよいのだと彼が知っていることが大事だった。私は身をかがめ、フードのすぐそばで静かに言った。「落としていい。そうしたらフードを外す。誰もがっかりしない」。鍵はもう少し滑った。それから彼の拳が、ゆっくりと、意志をもって、ふたたび閉じた。
信号の色を尋ねた。くぐもっていたが、はっきりと返ってきた。「Yellow」(黄)。私はうなじのファスナーを手のひらの幅ほど開け、首すじに冷たい空気を通して、待った。しばらくして聞こえた。「Green」。私はファスナーをふたたび閉めた。
それから、彼の注意がつかまっていられるものを差し出した。それは、彼自身が持ってきた像だった。「あなたは閘室の中に横たわっている」と私は言った。「うしろの門扉は閉じている。前の門扉も、まだ閉じている。誰もあなたを引き出さないし、誰も押し込まない。水は上がりもしないし、下がりもしない。水は、自分の高さを見つけようとしている」。そのあと、私は長いあいだ何も言わなかった。
ラテックスの手袋をはめた手を、二枚の層の上から、彼の肩に平らに置いた。彼が感じたのは触れられる感覚ではなく、圧だけだった。ひとつの面、ひとつの境界。その境界で、自分がどこで終わり、部屋がどこから始まるのかに初めて気づいた、とあとで彼は言った。私が促したわけでもないのに、呼吸は落ち着いていった。腕は寝台の上に重く横たわり、拳は閉じたままだった。
数分ごとに肩を2回軽くたたくと、彼は左手の親指を上げた。毎回すぐに、けれど急ぐふうもなく。まるで返事が、もっと遠くから届くかのようだった。私の声だけが、まだ外から届く最後のものになっている、そんな状態の奥から。合図と合図のあいだには、フードが終わる首すじに手の甲を当てて、熱を確かめた。20分ごとに、口の開口部からストローで水を飲ませた。やがてベルトをゆるめ、上体を起こすのを手伝い、鍵束を輪にして彼の右手首にかけた。手をひと振りし、鍵が鳴りさえすれば、それで足りた。それから私の手袋を、布とシリコーン系のつや出し剤と一緒に、彼の膝に置いた。彼は指の跡がひとつも見えなくなるまで、継ぎ目を点検するようにゆっくりと磨いた。すべてを掌握していなければならなかった男が、ひとつの小さな務めにすっかり身をゆだねる者へと変わっていくのを、私は見ていた。
最も深いのは皮膚:外皮、力、自由
ポール・ヴァレリーは、海辺で二人の男が語り合う対話篇『固定観念』に、のちにアンジューが真剣に受けとめた一文を書いている。「人間において最も深いもの、それは皮膚である」。はじめは、ただの気の利いた警句に聞こえる。だがあの夜、Studio 60で、私にはそれが技術的な記述のように思えた。
E.は、自分が何でも通してしまうのは、中身が足りないからだと思っていた。意志が足りない、硬さが足りない、自我が足りない、と。私には逆に見えた。中身は十分にあった。欠けていたのは、それが集まることのできる境界だった。ラテックスは人に何も付け加えない。その人がどこで終わるのかを、耳で聞き、肌で感じられるようにするだけだ。どの動きも音を立て、熱はすべて内にとどまり、外からの圧は洪水としてではなく、圧として届く。第二の皮膚は、彼の第一の皮膚が忘れてしまったことをした。彼をひとつにまとめ、入ってくるものを選り分けた。
支配を、押し入ること、壁を打ち壊すことだと思い描く人は多い。けれど多くの場合、その逆だ。数時間のあいだ、私は誰かのまわりに壁を築く。その人が、自分を守るのをやめられるように。だから献身とは、溶けて消えることではない。両側の圧が等しくなるまで、十分に長く閉じ込められていることだ。
ゲーテは詩「水の上の精霊の歌」にこう書いた。「人の魂よ、/なんと水に似ていることか」。水は、それが満ちている器のかたちをとる。器がなければ、流れ去ってしまう。閘室の船は、閉じ込められているのではない。ひとつの水域から別の水域へと運ばれていくのだ。閉じた門扉は、通過の反対ではなく、その条件である。
あの夜、私の力は門扉であって、水ではなかった。いつ閉じるか、どれだけ待つか、いつ何かを開くかは、私が決めた。けれど彼の右手には、ずっと二つ目の門扉があった。落ちさえすればいい、ひと束の鍵。私の仕事の核心は、そこにある。彼はいつでも出ていけた。出ていけたからこそ、出ていく必要がなかった。あの部屋で、自由とは境界がないことではなかった。すべての境界が取り決められている、という確かさだった。
門扉が開く:ふたたびキール湾へ
彼を包みから解くのには、着せるのとほとんど同じだけの時間がかかった。そうなるようにしたのだ。まずフードを、うしろから前へ、ゆっくりと。彼は落とした照明のなかで、深いところから浮かび上がってきたように目をしばたたいた。それから水を飲ませ、重い層を脱がせた。最後に彼自身のスーツ。肌に張りついたところは、ぬるま湯でそっとゆるめながらはがした。肌は上気して赤く、温かかった。継ぎ目が押していたところには細い線が浮かんでいたが、1時間もしないうちに消えるはずのものだった。彼は毛布にくるまって長いあいだ座り、何も言わなかった。それから言った。「これで、自分がどこで終わるのかがわかった」。そして笑った。仕様書の一行のように聞こえたからだ。
1週間後、メッセージが届いた。帰りの旅を終えた翌朝、誰とも言葉を交わす前に、日の出とともに展望台へのぼったという。閘室に停まった一隻の船を、水位がそろうまで見つめていた。そして見つめながら、ある圧に気づいたのは、それが消えたあとだったのだと理解した。浮かんでいるあいだ、船殻があらゆる方向からどれだけの水に押されているかを感じないのと同じように。このことは誰にも話していないし、話すつもりもない、と彼は書いていた。それは彼のものだった。
2月、彼はもう一度、前より短く書いてきた。頻繁には来ないだろう。年に一度か、それより少ないかもしれない。あの閘室があること、そしてミュンヘンに、ラバーの下での自分の呼吸の音を知っている人がいること。それを知っているだけで十分なのだ、と。ホルテナウを年に一度しか通らない船も少なくない。それでも船長は、そこに閘室があり、それが開くと知ったうえで航路を描く。
メッセージには写真が一枚添えられていた。日の出からまもない展望台。手すりに霜。その下の閘室に船が一隻。門扉は門扉室へ半分ほど引き込まれている。そしてはるか奥、対岸には灯台。その入口の上で、レリーフの二人の人魚が手を取り合っている。北海とバルト海。二つの水がここで出会えるのは、誰かがそのあいだに、閉じることのできる閘室を築いたからにほかならない。
ゲストブックから、二つの声
E.は架空の人物だ。だが、次の二つの声はそうではない。私のゲストブックに実際に寄せられた書き込みで、ここではドイツ語から忠実に訳している。書いたのは、この物語とは何の関わりもないゲストで、物語の登場人物の誰でもない。
「毎週これが必要なわけではない。毎月必要なわけでもない。必要なのは、この場所があると知っていることだけだ。自分がもう機能しなくなったとき、自分を知っている誰かに電話できるということ。それだけで、外の世界でまっすぐ立っていられる。それこそが、この営みの本当の贈り物だ」——ゲストブックの書き込み(ドイツ語から翻訳)
「外の世界では、このことを誰にも話していない。これからも話さない。けれど、初めてサブスペースに入ったあの晩、帰り道で車を止めて泣いた。なぜなのかもわからずに。悲しかったのではない。ほっとしていたのだ。自分でも知らなかった重さから、解き放たれて」——Daniel R.、ゲストブック(ドイツ語から翻訳)
物語は、この二つの書き込みから二つのモチーフを借りている。外の世界に対する沈黙と、そういう場所があると知っていること。つながりはそれだけだ。書き込みはE.によるものではなく、彼の物語を語ってもいない。
実際のセッションでのラテックスとヘビーラバー
物語は、現実にはもっと多くの話し合いと休憩を要することを、ぎゅっと縮めて描いている。ラバーに惹かれてキールから私のもとへ来るなら、すべては問いから始まる。どんな衣類を持っているか。どれくらいきつく着るか。熱に、窮屈さに、フードに、体がどう反応するか。ラテックスアレルギーがあるなら、前もって伝えること。心臓・循環器の不調、服用中の薬、古いけがも同じだ。そうしたことを書いておくなら、Safe Room(会員エリア)のプロフィールがいちばんいい。
- ラバーとラテックスは1時間料金に込み。身につけるのが私でも、あなたでも。
- ヘビーラバー(厚く、多くは何層にも重ねたラバーに包み込まれること)には、最低120分が必要だ。3時間なら、インテンシブがふさわしい形式になる。
- ベルトやロープによる拘束も、1時間料金に込み。
- フードはマスクトレーニングの一部で、これも料金に込み。鼻と口は常にふさがない。
セッションの前には毎回、リミットと、どんな行為もすぐに止めるセーフワードを取り決める。素材に包まれる者には、言葉がなくても伝わる合図も決めておく。そして私は、ずっと部屋にいる。あなたを包むものは、どれもすぐに開けられる。迷ったら、待たずに素材を切り開く。性交なし、オーラルセックスなし。素材や手入れ、自分の衣類についてはラテックス、ラバー、ヘビーラバーに、原則として行わないことはリミットと安全にまとめてある。
キールからStudio 60へ:移動と計画
キールからミュンヘンまでは遠く、旅には計画がいる。鉄道なら、接続しだいで7〜8時間。少なくとも一度は乗り換える。たいていはハンブルクだ。キールからの快速列車は、そこで南へ向かうICE(高速列車)に接続する。飛行機なら、出発はハンブルクだ。キールからの空港バスか、ハンブルク中央駅を経由する鉄道で、ターミナルまで行ける。空の上は1時間あまり。ミュンヘン空港からは、Sバーン(近郊電車)で市内まで約40分。どちらの空港への行き来にも、たっぷり余裕をみておくこと。スタジオの正確な場所は、予約が確定したらすぐに伝える。
はるか北からセッションに来るなら、次のことを勧める。
- 早めにリクエスト:列車や飛行機の切符を買う前にカレンダーで日時を選び、私の確定を待つこと。
- 部屋を確保:Studio 60の部屋をちょうどその時間で予約し、スクリーンショットを送ること。
- 余裕をみる:当日の朝にキールを出れば、気ぜわしいまま着くことになる。ミュンヘンに一泊し、翌日、ホテルからスタジオへ向かうほうがいい。ハンブルクで乗り継ぎに遅れても、セッションは延びない。連絡なしに30分以上遅れれば、無断キャンセルとみなす。
- しらふで到着:車内でビールは飲まない。気を落ち着けるための一杯もいらない。飲んできた者は迎え入れない。
守秘は互いに。私は誰のことも話さないし、あなたにも同じことを求める。いまはまだ旅が遠すぎるなら、ビデオ通話のリモートセッションから始める。ミュンヘンへの旅は、あなたの準備が整ったときでいい。