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Mistress Alexaドミナ · ミュンヘン

物語 · ドレスデン

ドレスデンのドミナ:ブリュールのテラスに立つ修復家

ドレスデンでドミナ(女王様)を探しているなら、私から差し出せるものは2つある。エルベの物語と、ミュンヘンへの道だ。物語はまったくのフィクション。主人公は絵画修復家のG.で、彼はブリュールのテラスで気づく。何年も絵を検分してきたのに、一度も絵を見てはいなかったことに。私がセッションを行うのは、ミュンヘンのStudio 60だけ。移動にまだ二の足を踏むなら、まずビデオ通話で会えばいい。

日時を選んでリクエスト →

ドレスデンのドミナ:エルベから来るゲストに私が提供するもの

私が仕事をするのはミュンヘンだ。ドレスデンでは誰も迎えないし、エルベまで出向くこともない。あなたの住まいにも、ホテルにも。ザクセンに住み、本当に導いてくれるドミナを求めるなら、あなたがStudio 60の私のもとへ来る。私が対面セッションを行う、ミュンヘンのBDSMスタジオだ。

そこへ至る道は、4つの段階からなる。

  • カレンダーで、種類、日、時刻を選ぶ。1時間、3時間のインテンシブ、またはリモート。
  • リクエストは、料金と受付番号まで書き込まれた文面のまま、WhatsAppかTelegramで私に届く。
  • 予約が確定するのは、私自身が確認し、€50のデポジットを受け取ってから。デポジットは料金から差し引く。
  • 部屋はスタジオで直接、自分で予約して支払う。その予約確認を、スクリーンショットで私に送ること。

リクエストについてはドミナへの連絡方法に詳しく書き、料金は料金と予約にまとめた。列車でおよそ4時間半。最初の一歩に求めるには、大きな負担だ。だから、その一歩はリモートセッションでもいい。ビデオ通話で45分、世界中どこからでも、€180から。私が話し、書くのはドイツ語と英語。3つ目の言語はない。

物語の中心にあるのは崇拝だ。私がその言葉で何を指しているのかは、エッセイ崇拝にもっと詳しく書いた。同じく作り話である別の街の物語は、テューリンゲンで始まる。エアフルトのドミナだ。

夜のドレスデン:ノイシュタット、エルベ河畔、フェティシズムのシーン

夕方になると、ドレスデンはエルベ川を渡って北へ流れていく。アラウン通り、ルイーゼン通り、ゲルリッツ通りを中心とするオイセレ・ノイシュタット(Äußere Neustadt)は、19世紀後半、いわゆる創業者時代(Gründerzeit)の街並みがまとまって残る地区として、ドイツでも有数の規模とされる。市の集計によれば、その路地と裏庭に、150を超える酒場、ライブハウス、店がある。そのただなかで、クンストホーフ・パッサージュ(Kunsthofpassage)が、アラウン通りとゲルリッツ通りのあいだの5つの中庭をつないでいる。「エレメントの中庭」では、雨どいとじょうごが青いファサードをよじのぼり、雨が降ると、その壁が音楽を奏ではじめる。

  • アラウン通りのショイネ(Scheune)は、1951年に青少年クラブとして開かれた。4年の改修を経て、2026年9月から再び開いている。コンサート、朗読会、パーティー。
  • 6月には、ノイシュタットがマルティン・ルター広場でブンター・ゾンマー・ノイシュタット(Bunter Sommer Neustadt)を祝う。地区の市民団体が運営する非営利の地区祭で、いくつものステージにバンドとDJが立つ。
  • 夏には、旧市街の向かい、ノイシュタット側のケーニヒスウーファー(Königsufer)が、川辺の野外上映会エルベ河畔の映画の夜(Filmnächte am Elbufer)の舞台になる。1991年から続き、2026年に36回目のシーズンを迎えた。
  • 電子音楽の夜なら、たとえばドレスデン北部の工業地区インドゥストリーゲレンデ(Industriegelände)にあるobjekt klein a。フロアがいくつもあり、暖かい季節には屋外のスペースも開くクラブだ。
  • ゲイのレザーとフェティシズムのシーンには、Leder- und Fetischclub Dresden e.V.という独自の団体がある。2025年10月、この団体はFetishunityを開催した。ドイツ、オーストリア、スイスの代表が集まる週末で、その締めくくりにMr. Fetish Germany 2026の称号が授与された。

ドレスデンにも、プロのドミナやスタジオはある。名前は挙げない。私の守秘は、同業者にも及ぶ。

日暮れ前、ヨーロッパのバルコニーで

ドレスデンには2日間いた。予定もなく、これといった当てもなく。午後も遅くなったころ、私はアルベルティヌムで、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの小さな絵の前に立っていた。外套をまとった2人の男、根こそぎ倒れた樫の木、細い三日月。この絵では、何も起こらない。見えるのは2人の後ろ姿だけ。それでも、眺める彼らが何ひとつ欲していないことはわかる。その視線を抱えたまま、私はブリュールのテラスへ出た。古いブリュール庭園を抜け、フリードリヒの記念碑の前を通って。

19世紀の初めから、ここは「ヨーロッパのバルコニー」と呼ばれている。それ以前は要塞の城壁で、のちにザクセンの大臣ブリュールの私的な庭園になった。1814年、ロシアの総督が、すべての人に開くよう命じた。10月だった。手すりの下でエルベ川は広く、ゆっくりと横たわり、ノイシュタット側の岸はもう影に沈んでいた。蒸気船の桟橋では、外輪船の立てた最後の船首波が、岸壁に打ち寄せていた。頭上には、美術アカデミーの、折り畳まれたようなガラスのドームが弧を描いていた。ドレスデンの人々が「レモン搾り器」と呼ぶドームだ。その頂で、金色のファーマが最後の光を受けとめていた。

彼は美術アカデミーの下の手すりのそばに立ち、川に背を向けて、そのドームを見上げていた。感嘆するのではなく、検分するように。首をかしげ、壁を走るひびを目で追うときのように。何を探しているのか、と私は尋ねた。

「欠陥を」と彼は言った。「それが私の仕事です」

絵画の修復をしている、と彼は話した。もう20年以上になる。大きなコレクションの絵が、ワニスが黄ばんだり、キャンバスがたるんだりしたときに運び込まれる工房で。そのとき彼の作業台にのっていたのは、18世紀の街の眺望画だった。エルベ川、橋、いくつものドーム。ここで「カナレットの眺め」と呼ばれる景色だ。叔父と同じくカナレットと名乗った、ベルナルド・ベッロットにちなんで。

「それを見るとき、何が見える?」

「クラクリュール(絵の具のひび割れ)。前任者たちの補彩。100年前に誰かが、青を使いすぎた箇所」

「では、絵は?」

彼があまりに長く黙っていたので、そのあいだに下では2隻目の船が着いた。「毎日、偉大な芸術の前に立っています」と、彼はようやく言った。「それなのに、一度も崇拝したことがない。そもそも、見たことがあるのかどうかさえわからないんです」

川を見渡すベンチに並んで腰を下ろし、紙コップのコーヒーを飲んだ。私は話した。アルトゥル・ショーペンハウアーは、まさにこのテラスが開かれた年にドレスデンへ来て、ここで『意志と表象としての世界』を書いた。駆り立てることを決してやめない意志と、誰かがただ見ているがゆえに、その意志が沈黙するまれな瞬間についての本だ、と。

「私の意志は、黙ることがありません」とG.は言った。「正そうとするんです」

「なら一度、正される側に回りなさい」

彼は私を見た。初めて、検分せずに。私は自分が何者で、どこで仕事をしているのかを話した。ミュンヘンで、ここではない、と。何も欲せずに見るとはどういう感覚なのかを知りたいなら、連絡をくれればいい、と私は言った。それから大階段をシュロス広場へと下り、シリングのブロンズ像「一日の四つの時」の前を過ぎて、振り返らなかった。

3ページと4行:事前の話し合い

11日間、何も来なかった。それから、3ページに及ぶ文面が一度に届いた。ワニスと溶剤のこと、ショーペンハウアーのこと、円満に終わった結婚のこと。そして、自分の視線がもう手放せない道具になってしまったという感覚のこと。私は4行で返した。望むこと、恐れていること、起きてはならないことを書いてくるように。それ以外は何も要らない。

2通目のメッセージは短かった。それだけで、彼が私の言葉を理解したとわかった。何も検分しなくていい1時間がほしい。笑いものになるのが怖い。打たれるのは望まない。顔には何もしないでほしい。

それから、初めての邂逅の前に私が必ず知っておきたいことが続いた。何年も前に、左膝の半月板の手術を受けている。硬い床に長くひざまずくのには耐えられない。服用中の薬はなく、わかっているアレルギーもない。ただ、20年にわたって溶剤を扱ってきたせいで、前腕の皮膚が薄く、敏感になっている。

それをどう扱うかを、私は書き送った。ひざまずくのは、膝をつくために作られたクッションの上。膝が求めるより先に、私が姿勢を変える。ろうは、肌に使うために作られた、融点の低いろうそくのものを使う。蜜ろうでも、家庭用のろうそくでもない。どのろうそくも、最初のひとしずくは私自身の手首で試す。落ちたろうがどれほど熱いかは、落とす高さで決まる。顔、髪、前腕には垂らさない。水と湿らせた布を用意しておく。

セーフワードは、彼が自分で提案した。「Varnish」(ワニス)。絵を守り、年月とともに黄ばんでいく層。私はそれを受け入れた。私が「どこにいる?」と尋ねれば、すべてが持ちこたえているかぎり、彼は「ここに」と答える。彼が「Varnish」と言えば、すべてはその場で止まる。説明も、非難もなく。その1時間、彼は黙っていることになっていたから、無言の合図も決めた。右手を、平らに開いて上げること。

その1時間のためのルールが、もうひとつ。彼が話すのは、私が尋ねたときだけ。彼が見るのは、私が許した場所だけ。

彼はStudio 60の部屋を、ある木曜の17時に予約した。スクリーンショットはその日の晩のうちに届いた。デポジットは、私が確定したあと、翌朝に届いた。予約の前夜、彼は最後に一文だけ書いてきた。朝の列車に乗る。予約の時間までは、水しか飲まない。私が頼んだことではなかった。それは、彼が私に何も求めずに書いた、初めての一文だった。

クッション、7本のろうそく、最初の試し

彼が二人のために予約した部屋は静かで、明かりは落とされていた。その真ん中に、私は膝をつくためのクッションを置いておいた。重く、暗い色のカバーに包まれた、部屋でいちばん柔らかなもの。そのそばの金属のトレイには、色の違う7本のろうそく、水を入れたグラス、湿らせた布、平たい木のへら。クッションの前に、椅子がひとつ。それだけだ。

彼は時間どおりに来た。私は挨拶もせずに彼を扉のそばに立たせたまま、彼が部屋を読むのを眺めた。壁、明かり、クッションと椅子のあいだの距離。彼は目録をつくっていた。当然だ。彼がもう膝を折りかけたとき、私は言った。「まだ」

崇拝の最初のしぐさは、小さい。私が近づくと、彼は視線を落とした。私が彼のまわりをめぐるあいだも、視線は落としたままだった。そうして3分、彼は立っていた。立っていることが、彼にどれほどの負担だったか。それが私には見えた。体ではない。意志にとっての負担だ。正しくやるために、何かを、何でもいいからしたがる意志。

「シャツは脱ぐ。ひざまずきなさい」

彼の左膝がちょうど真ん中に来るまで、私はクッションを動かした。彼の両手を、手のひらを上にして、腿の上に開いて置いた。それから椅子に腰を下ろし、最初のろうそくを取って火をつけた。

「あなたは私を見る」と私は言った。「見るのであって、検分するのではない。検分すれば、私は気づく」

彼は視線を上げた。10秒ほど、私の視線を受けとめていただろうか。それから、彼の目が測りはじめるのが見えた。私の手袋の縫い目。私の顔にあたる光の角度。ろうそくの縁からろうがあふれ出している箇所。

「欠陥を探している」

命じられもしないのに、彼は目を閉じた。その瞬間、どこから始めるかがわかった。私は最初のひとしずくを、自分の手首に落とした。それが静かに着地する音が、彼に聞こえるほど近くで。それから立ち上がり、彼の背後にまわった。2滴目は、腕の長さほどの高さから、彼の右の肩甲骨に落ちた。彼はびくりとした。痛みからではない。見えないところから来るものが、これほど温かいことへの驚きからだ。

私は声に出して数えなかった。ろうを一滴ずつ、彼の背中に伝わせた。薄い層の上に次の薄い層を、白の上に赤を重ね、肩甲骨のあいだの肌が、下地を塗ったキャンバスのように覆われるまで。

「どこにいる?」

「ここに」

「いまは、あなたが絵だ」と私は言った。「そして、どこにワニスを塗るかを決めるのは、私」

大げさすぎる演技:彼が崩れた瞬間

20分ほどたって、私は彼にふたたび目を開けることを許した。3本目のろうそくを手に、私は彼の前に座っていた。すると彼は、わかったと思い込んだ男たちがすることをした。額が床に触れそうになるほど深く身をかがめ、私の手へ手を伸ばし、口づけしようとしたのだ。求められてもいないのに。美しいしぐさだった。そして、作られたしぐさだった。

「大げさすぎる」と私は言った。「身を起こしなさい」

彼は身を起こした。その顔を、ちくりとした痛みがよぎるのが見えた。何かをしくじった専門家の、傷ついた誇り。彼の意志は、まさにそこにあった。シーンへの欲望のなかではなく、それをうまくやりたいという願いのなかに。

「ここでは、何ひとつ正しくやることは許されない」と私は言った。「許されているのは、ここにいることだけ」

それから、二人とも黙った。私はろうそくをより高く掲げ、ろうが少し冷めてから胸骨に届くようにした。ひとしずく落とし、それから長いあいだ何も落とさず、次に2滴、そしてまた長いあいだ何も落とさなかった。しがみつけるリズムは、何ひとつ与えなかった。部屋でいちばん大きな音は、炎の音だった。私は言葉もなく彼の重心を右膝に移し、しばらくしてまた戻した。彼は私を見ていた。今度は、彼の目から、測るまなざしが少しずつ引いていくのが見えた。ようやく筆を置く手のように。

ひとつの言葉が、彼の喉まで出かかっているのも見えた。「Varnish」。腿の上で、右手がぴくりと動いた。上がろうとするかのように。言葉が出れば私には聞こえたし、手が上がれば私には見えた。そうなれば、私はすぐに止めていた。彼はその言葉を言わず、手も腿に置かれたままだった。そのかわりに、彼は崩れた。

静かに泣いたのではなかった。何年も持ちこたえてきた壁から水が噴き出すように、それは彼の内からあふれ出し、彼は身を折った。私はろうそくを置き、彼の後頭部に手を添えて、その額を私の膝に引き寄せた。息が整うまで、そうして抱いていた。慰めの言葉は、何も言わなかった。慰めなければならないことなど、何もなかった。

彼の息が静かになってから、ようやく私は尋ねた。「どこにいる?」

彼は少し間をおいた。「ここに」。それから、もっと小さな声で、自分でもいま初めて気づいたかのように言った。「ここに」

私はさらに何度かの呼吸のあいだ、彼のうなじに手を置いたまま、その目をのぞきこんだ。彼が本気でそう言っていると確信できるまで。それから椅子の背にもたれ、4本目のろうそくを取って火をつけ、何事もなかったかのように、最初のひとしずくを手首で試した。それが、あの晩、私が彼に与えたもののなかで、いちばん大切なものだった。彼の涙は、言葉でごまかして済ませる失態ではなかった。壊れものを扱うように彼に触れる理由でもなかった。涙はろうと同じく、その1時間の一部だった。これは尊厳の問題であって、憐れみの問題ではない。

イクシオンの車輪が止まる:ショーペンハウアーと、見返す視線

ショーペンハウアーはドレスデンで、絵や風景の観照にすっかり没入した人間に何が起こるかを書いた。その人は自分自身を忘れ、ただ「客観の澄んだ鏡として」存在しつづける。「純粋な、意志なき、苦痛なき、時間なき認識主観」として。この観照が続くあいだ、人は意志の絶え間ない圧迫から解き放たれている、と彼は書く。「われわれは意欲という懲役の安息日を祝い、イクシオンの車輪は止まる」

G.はこの言葉を知っていた。何年も前に読み、響きのよい主張だと受けとめていた。その状態に、自分では一度も出会ったことがなかったからだ。それを呼び起こすはずの絵の前に、毎日立っていたにもかかわらず。彼の意志は、入念さという姿に身をやつしていた。修復家は、検分するのをやめるわけにはいかない。そのおかげで仕事には長け、そのせいで、自分が救っているものが見えなくなる。

ショーペンハウアーの教えに欠けているのは、これだ。絵は見返さない。風景は何も求めない。その前に立ち、自分の意志を忘れていられるのは、意志がそれを許すあいだだけだ。崇拝では、事情が違う。見られているものが見返し、そして決める。1時間のあいだ、私はG.を意志することから解放した。ほとんど何も求めないことによってではない。彼のかわりに私が意志することによって。いつひざまずくか、どこを見るか、ろうがどこに落ちるか、どれだけ長く何も起こらないか。正しくやれることが何ひとつなくなって初めて、彼の意志は沈黙を許された。

人が私にあると思っている力は、そこにある。それは人が思うよりも小さく、そして重い。ろうそくの高さを知り、膝を見守り、相手が時計を忘れていられるあいだも、時計から目を離さないこと。それがその力のすべてだ。崇拝する者は、意志することをやめてよい。崇拝される者は、決してやめてはならない。

のちにショーペンハウアーは、懸賞論文『意志の自由について』で、意志が自由であることを否定した。突きつめれば、こういうことになる。「人は欲することをなしうるが、欲することを欲することはできない」。彼は正しいのかもしれない。けれど、彼の体系には居場所のない自由がある。それには、もうひとりの人間が要るからだ。限られた時間、ルールのある部屋で、自らすすんで委ねた相手から与えられる、意志することからの自由。すべては、それが自由意思によるものかどうかにかかっている。強いられた崇拝は、ただの屈従にすぎないだろう。選びとられた崇拝は、尊厳の行為だ。

大階段の夜:ふたたびエルベへ

最後のろうそくは、釣鐘形の火消しをかぶせて消した。それから木のへらを取り、彼の肌からろうをはがしていった。一層ずつ、ゆっくりと。古いワニスを取り除くときのように。その下の肌は赤らんで温かかったが、どこも傷ついてはいなかった。私が何をしているのかを理解したとき、彼は初めて笑った。短い、驚いたような笑いだった。赤くなったところにオイルをすり込み、グラスを渡し、立ち上がるのに手を貸した。最初の数歩は、彼の膝が決めた。そのあと15分ほど、二人は向かい合って座った。彼は初めて、私と同じ目の高さで。そして膝のこと、温かさのこと、取るに足らないことを話した。

ミュンヘンの駅のホームから、彼は書いてきた。駅の時計は1時間だったと言い張っている。自分はそれを信じない、と。

次のメッセージは3週間後、ドレスデンから届いた。あの眺望画(ヴェドゥータ)から黄ばんだワニスを取り除き、そこに初めて空を見た。ひび割れではなく。その晩、彼はまたブリュールのテラスにいた。日暮れの少し前、手すりのそばに。アウグストゥス橋から桟橋まで、1隻の蒸気船をずっと目で追っていた。それにどれだけ時間がかかったのかも知らず、見ながら何かを欲することもなく。それから大階段を下り、「夜」のブロンズ像の前を通り、やっと誰だかわかった相手に挨拶するように、彼女に挨拶した、という。

それ以来、私はドレスデンへ戻っていないし、戻る必要もない。あそこでは時おり、ひとりの男が手すりのそばに立ち、欠陥を探さずに川を見ていることを、私は知っている。その頭上では、「レモン搾り器」の頂で金色のファーマが光っている。噂の女神は、見たことを自分の胸にしまっておく。

ゲストブックからの2つの声

物語は作り話だ。続く2つの書き込みは、そうではない。どちらも私のゲストブックに、書いた本人の言葉のまま載っている。ドイツ語で書かれたものを、ここに忠実に訳した。書いたのは実際のゲストで、G.とも、その物語とも何の関係もない。物語を読んだ人は、そこにこれらの言葉の残響を聞くだろう。涙、抱きとめること、終わろうとしない1時間。けれど、物語の登場人物は誰ひとり、これを書いていない。

「4回目のセッションで、私は大人になって初めて、泣き崩れた。危機ではなかった。解放だった。ふたたび息ができるようになるまで、彼女は私を抱きとめていた。それから、何事もなかったかのように続けた。それこそ、私が必要としていた尊厳だった」——Henrik N.、ゲストブックの書き込み(ドイツ語から翻訳)

「初めてのセッションは1時間だった。短いだろうと思っていた。それまで生きてきたどの日よりも長かった。Mistress、感謝しています」——奴隷B.、ゲストブックの書き込み(ドイツ語から翻訳)

現実のセッションでの崇拝とろうそく

物語が1時間に凝縮していることは、私のもとでは、たいてい何度かの邂逅をかけて育っていく。崇拝は、料金表に独立した項目として載っているものではない。セッション全体を貫く姿勢で、小さなところから始まる。伏せた視線、待つこと、私が尋ねるまでの沈黙。大きなしぐさは、それを支えるものができてから、あとで来る。その理由は、エッセイ崇拝に書いた。

ろうとひざまずく姿勢について、私のルールはこうだ。

  • 事前の話し合い:希望、リミット、健康に関わることはすべて、前もって確かめる。敏感な肌、アレルギー、関節と膝、心臓・循環器、服用中の薬。いちばん簡単なのは、Safe Room(会員エリア)のプロフィールに書き込んでおくことだ。
  • セーフワード:言葉をひとつ決める。シーンのあいだ黙っていることになるなら、無言の合図もひとつ。どちらでも、どんな行為もすぐに止まる。
  • ろう:融点の低いろうそくを使い、どのろうそくもまず自分の肌で試し、熱さは距離で加減する。顔と髪には垂らさない。ろうは1時間料金に込み。
  • ひざまずくこと:長く姿勢を保つのは、必ずクッションの上で。関節が音を上げる前に、姿勢を変える。
  • 拘束も料金に込み。ろうから身をかわしてはならないときのために。

性交なし、オーラルセックスなし。どこまで進むかは私が決める。前もって合意したリミットの範囲内で。ルーム料金は別途、Studio 60に直接支払う。中断とリミットについての基本は、リミット、タブー、安全にまとめた。

ドレスデンからミュンヘンのStudio 60へ

ICE(高速列車)なら、ドレスデン中央駅からミュンヘン中央駅まで約4時間半。たいていは1回乗り換える。たとえばライプツィヒかエアフルトで。線路工事でときおり所要時間が延びるので、出発の直前に接続を確かめること。飛行機のほうが速い。Lufthansaがこの区間を(2026年時点で)1時間弱で結んでいて、ミュンヘン空港からはSバーン(近郊電車)で先へ進む。旅行する月にその便が飛んでいるかどうかは、予約のときにわかる。スタジオの正確な場所は、私が確定し、デポジットが届いてから伝える。

ドレスデンから来るゲストに、私が勧めること。

  • 早めに計画すること:長い移動と、ぎりぎりの乗り継ぎに懸かった予約は、相性が悪い。午後か夕方の時刻を選び、1時間の余裕を見ておくこと。
  • まず部屋:Studio 60の部屋を、リクエストしたとおりの時間で予約し、予約確認のスクリーンショットを私に送ること。
  • しらふで来ること:車内ビストロのビールには手をつけない。飲んできたゲストは、私の扉の内側に入れない。
  • 時間どおりに:遅れても、セッションは延びない。連絡のないまま30分遅れれば、予約は無断キャンセルとみなす。
  • 泊まること:インテンシブのあとで何時間も列車に座っていたくないなら、そうすればいい。ホテルからスタジオへは、よく休んでから向かえる。

守秘は互いに。撮影・録画・録音は、事前の同意があるときにかぎる。セッションのあいだ、スマートフォンの電源は切っておくこと。まだ移動をためらうなら、ドレスデンにいながら、ビデオ通話のリモートセッションから始めればいい。同じくまったくのフィクションで、今度はミュンヘンそのものを舞台にした別の邂逅は、ホーフガルテンの物語で語っている。

よくある質問

セッションのために、ドレスデンまで来てもらえますか?

いいえ。対面のセッションを行うのは、ミュンヘンのStudio 60だけです。ゲストの住まいにも、ホテルにも行きません。ドレスデンからなら、そこで会うか、45分のリモートセッションでビデオ通話越しに会うか、そのどちらかです。

G.の物語は実話ですか?

いいえ。まったくのフィクションで、修復家も架空の人物です。本物なのは、ドレスデンの場所と、このページで引いたゲストブックの2つの声です。声を寄せたのは実際のゲストで、物語の登場人物ではありません。

ドレスデンにいながら、ミュンヘンでの予約を入れるにはどうすればいいですか?

私のサイトのホームにあるカレンダーで、種類、日、時刻を選び、できあがったリクエストをWhatsAppかTelegramで送ってください。私自身が確定したら、€50のデポジットで予約が確保されます。Studio 60の部屋は自分で予約し、予約確認を私に送ってください。

ろうそくのろうで、肌に跡が残りますか?

たいていは、しばらく肌が赤くなるだけです。肌のために作られたろうそくを使い、落とす高さで熱さを加減しているからです。ただ、約束はできません。肌の反応は人によって違います。肌が敏感なら、あるいはあとで誰にも何も説明したくないなら、前もって伝えてください。それに合わせて、場所と距離を選びます。

コントロールを委ねる覚悟はある?

カレンダーでセッションの種類と日時を選びなさい。リクエストの文面は自動で整い、WhatsAppかTelegramで私に届く。

日時を選んでリクエスト →

更新日: 2026-10-11