決めなくていいという許し
私がいちばんよく耳にする動機は、控えめに聞こえる。一度でいいから、決めずにいたい。私のもとへ来る男たちの多くは、一日じゅう責任を負っている。チームに、会社に、家族に、ほかの誰も下したがらない決断に。周りが自分の言葉を待つことに、彼らは慣れている。私のところでは、誰も彼らの言葉を待たない。いつ立つのか、いつひざまずくのか、いつ口を開いてよいのか。それを告げるのは私だ。
外から見れば、矛盾に映る。一日じゅう人を動かしている男が、動かされることを望むのだから。だが内側から見れば、筋が通っている。絶えず決め続けている者は、しばらくのあいだ重荷を誰かに預けられる場所を求める。そして、それを担えるだけ強い相手を。それが起きる瞬間を、私はしばしばはっきりと目にする。肩が下がり、声がやわらぎ、部屋を見張っていた視線が動きを止める。
委ねることは、弱さではない。信頼を必要とする決断であり、はたから想像する以上の勇気が要ることも多い。なぜここでは体よりも頭のほうが大きな役割を果たすのか。それはエッセイ精神的な支配に書いた。
好奇心と、何年も抱えてきた空想
ほかの男たちが来るのは、手放すためではなく、ようやく何かを知るためだ。多くの場合、それは何年も前から頭を離れないひとつの像。拘束されること、ある役割を演じること、ラテックスに閉じ込められること、あるいは厳しくたしなめられること。それについて読み、映画を観て、場面を思い描いてきた。けれども、生身の人間が主導権を握るとはどういうことなのかを、一度も感じたことがない。
私が惹かれるのは、想像と現実のあいだにある隔たりだ。頭の中にあったときよりも、部屋の中でいっそう強くなる空想がある。実際に起きた途端に力を失い、ゲストが考えもしなかった何かに場所を譲る空想もある。どちらもよい結果だ。同じ像を抱えたままもう1年を過ごすより、どちらも正直だから。
すべての空想が部屋にふさわしいわけではない。想像のままのほうが美しいものもあれば、私のタブーのひとつに触れるものもあり、最初の1時間では足りないものもある。そのうち何を、どんな形で、いつ現実にするかは、事前の話し合いであなたと決める。ときには答えが「ノー」になる。その「ノー」が、どんな「イエス」よりも、あなたの望みについて多くを教えてくれる。
好奇心から来る男は、自分がサブミッシブかどうかを知らなくていい。確かめてみる気があれば、それで足りる。自分のペースで、ただし私の枠の中で。初めての予約をどう準備するかは、初めてのセッションに書いてある。
隠しごとではなく、明確な枠
こうした望みの多くは、長いあいだ人目につかないところに潜んでいる。ブラウザーの履歴の中に、誰にも打ち明けない思いの中に、画面の向こうに誰がいるのかも定かでない、見知らぬ相手とのチャットの中に。ドミナを訪ねれば、望みはそのグレーゾーンを出て、はっきりと定められた枠の中に収まる。
多くの男にとって、その枠こそが本当の理由だ。私のもとでは、何が対象外で、予約にいくらかかるのかが、前もってわかる。リミットはあなたが決め、セーフワードは二人で取り決める。その両方が守られるよう責任を負うのは、私だ。誰かのために演じる必要も、胸にしまっておきたいことを説明する必要もない。守秘は互いに。
その望みを、ひとりで抱えてくるとは限らない。カップルを迎えるのは、パートナー双方が望む場合のみ。二人はそれぞれ自分の口で「イエス」と言い、18歳以上で、自分自身のセーフワードを持つ。そうしたセッションがどんなものかは、カップルのセッションで説明している。
私のもとを訪れる男たち
典型的なゲストというものはいない。私のもとへ来るのは、人生のあらゆる段階にいる男たちだ。初心者もいれば、長く経験を重ねてきた者もいる。ミュンヘンに住む者もいれば、旅の途中、商談と商談のあいだに予約を入れ、ホテルからスタジオへ来る者もいる。言語はあなたが選ぶ。英語でもドイツ語でも、より身を委ねやすいほうで、私は導く。
それでも、繰り返し現れる型はある。
- 決断を下す男:誰にも何も問われない1時間を望む。
- 好奇心に駆られた男:昔から抱いてきた像を、現実に照らして確かめようとしている。
- 経験を積んだ男:自分が何を求めているかを知っていて、自分に見合うだけの導きを期待する。
- 通い続ける男:私と会うことが、決まった儀式になっている。それはときに単発の予約を超え、より長い導きへと続く。エッセイ24/7の献身に書いたとおりだ。
彼らを結びつけているのは、特定の嗜好というより、ひとつの姿勢だ。本物を求め、そのためにルールを守る覚悟がある。挑発したいだけの者、値切りたいだけの者、リミットを試したいだけの者は、この顔ぶれにはいない。私のもとでは予約が取れないからだ。
セッションとは何でないか
このテーマについては、私の仕事とはほとんど関係のないことが数多く書かれている。だから最後に、私のもとでは見つからないものについて、飾らない言葉でいくつか述べておく。
- 薬ではない。セッションは体験であって、何かに効く手段ではない。心の危機のさなかにいる人が行くべきなのは、資格を持つ専門家のもとであって、私の部屋ではない。気づいたときには、私はそう伝える。
- 性交なし、オーラルセックスなし。私が差し出すのは、導きだ。ほかのものを求める者は、来る場所を間違えている。
- 恋愛関係ではない。セッションの中では親密さが生まれる。ときには、とても深い親密さが。それは取り決めた範囲の内側にとどまり、パートナーとの関係の代わりにはならない。
- 償いではない。私のもとでの罰は、成人同士のロールプレイの一部であって、現実の罪の清算ではない。現実の何かを償いたい者も、それを私の部屋で消し去ることはできない。
- ルールのない場所ではない。手放すために来る男でも、リミットを扉の外に置いてくるわけではない。それを彼のために預かるのは私だ。
ドミナが代わりに何をし、その仕事がどこで終わるのかは、ドミナは何をするのかで説明している。